先週の金曜日のことになります。立春を過ぎてもまだまだ寒い日が続いていましたが、この日は朝から天候も良かったため、早目の昼食を済ませた後、妻と二人で虎御前山に登ってきました。
虎御前山(とらごぜんやま)は滋賀県の北部、長浜市内にあります。最寄りの駅はJR北陸線の虎姫駅です。この虎御前山は織田信長が小谷城の浅井長政を攻める際に、ここに最前線として虎御前城を築いて柴田勝家の陣が置かれた場所になります。何度か砦が築かれたようですが小谷城の落城後に壊されたそうです。
昔、泉のほとりに住んでいた「お虎」という娘が旅の途中で道に迷いそこで知り合った若者と愛し合い結婚します。ますます美しさを増した娘は「虎御前」と呼ばれ、やがて15人の子供を産みますが、顔は人間でも体はウロコに覆われた蛇だったため、嘆き悲しんだ末に身を投げて命を絶ってしまいます。その後、育った子供たちは成人する頃には人間と同じ容姿になり、近隣の村々を治めるようになります。子供たちが善政を行った村々ではその母親であった虎御前を忘れぬようにといつしかこの山を虎御前山と呼ぶようになったという伝説があるそうです。
また、この虎御前山には尾根沿いに多くの古墳があり、確認されているだけで85基あるそうです。古墳時代から奈良時代に掛けてのもので、この地が物部氏の勢力範囲であったという説もあることから、その一族のものかとも言われていますが詳細は不明だそうです。
こちらは山頂に向かう途中で見えた伊吹山になります。先日、麓で伊吹そばを味わった場所です。この日は青空の広がる良い天候でしたので雪が積もって白くなった山頂が綺麗に見えました。
こちらは織田信長の宿老であった滝川一益の陣地跡だそうです。この滝川一益は天下統一事業にも貢献したと言われています。
この近くにはNTTの通信鉄塔があるため、そこまでは管理用の道路として舗装されています。そこから先は細い山道になりますが、虎御前山ハイキングコースとして整備されていますので道に迷うようなことは無い感じです。
こちらは更にその先にあった礎石復元建物の案内看板です。この礎石建物は、当時の山城において一般的な主要施設であったと書かれていました。
こちらは復元された高床の上から撮った琵琶湖に浮かぶ竹生島になります。この竹生島には長浜港や彦根港から船で行くことができ、まだ子供が小さかった頃に訪れたことがありますが、もう20年ほど前のことになってしまいました。
こちらの写真が礎石復元建物になります。看板にあった建物復元図のような姿を想像してしまいますが、残念ながら復元されているのは束柱と一部の床だけで、ベンチとして利用するそうです。
この辺りからは先程よりも綺麗に伊吹山が見えていました。当初はこの辺りで引き返して車を止めてきた駐車場に戻る予定にしていたのですが、妻から天候が良いので虎御前山ハイキングコースを通り抜けてみようという提案があり、スマホに表示された地図を確認してみると十分に歩ける距離でしたので、そのまま先に進むことになりました。
こちらは更に進んだ先にあった木下秀吉の陣地跡になります。石碑の足元にある看板にはこの地点の標高は229メートルと書かれており、虎御前山では最も高い場所になるようです。
この後は虎御前山ハイキングコースをそのまま進み、山を下りた地点はJR北陸線の河毛駅に程近い場所でした。この河毛駅は登り始めた地点の最寄り駅である虎姫駅から一駅先にあるところになりますので、それなりの距離を歩いたことになります。とにかく車を止めた駐車場まで戻らなくてはなりませんので、スマホの地図で虎御前山沿いにある道路を確認し、2.8キロメートルと表示された道程を再び歩いて帰りました。
最終的にこの日に虎御前山周辺で歩いた距離は約5.5キロメートルになりましたので、妻と一緒に歩くようになってからの最長記録ではないかと思います。翌日の夕方から2日目に掛けて太腿の裏側や脛の辺りが痛くなりましたので、今後はあまり無理はしないように注意したいと思います。